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かくのだて観光Navi

樺細工の由来

1.樺細工のおこり


 北秋田市(旧合川町)鎌沢地区の熊野神社別当、藤原宥秀という人が、明治3年3月の日付けで、樺細工の由来を書き残しています。 それによれば「私の先祖は修験だが、金弥という人の代に、阿仁樺と称して一子相伝だった樺細工の技法を外に出した」と記されています。
 この記録や角館に伝わる樺細工の由来などから考えると、阿仁、またはその近くに生活していた一部の修験(山伏ともいう)に伝承されてきた、桜の樹皮を加工して日常の道具を造る技法が外に伝えられたと思われます。この時期、この技法を伝授したのは御所野家とされていますが、鎌沢の熊野神社との関係はよく分かっていません。

左 経徳明夫・作「無地皮亀甲貼硯箱」
右 荒川慶一・作 「あめ皮小箱」

 時期的にはおそらく江戸時代の中期でしょうか。1780年(天明年中)ごろ藤村彦六という角館・佐竹北家の武士が「阿仁に出向いて樺細工の技法を習った」と角館では伝えられていますが、直接、武士の身分で阿仁まで技術習得に出向いたのかどうかはよく分かっていません。
と同時に、門脇権六という人がその仲介をした、とも伝えられていることから、修験の金弥の代に阿仁から技法が流出し、ひとつは阿仁鉱山との関わりが大きかった角館に伝えられ、もうひとつのルートとして、隣接する森吉から大館方面にも技法がもたらされたと考えられそうです。現在、旧合川町の鎌沢、旧田代町の岩瀬、それに大館市にも樺細工が残っているのは、そのような伝播の経路を示すものと思われます。