「みちのくの小京都」角館の多彩な魅力をご案内
角館の今に続く町並みをつくったのは芦名(あしな)氏で、江戸時代のはじめ1620年(元和6年)のことでした。その後は佐竹北家の城下町として栄えました。
玉川と桧木内川に沿いに市街地が拓け、三方が山々に囲まれたこの町は、歴史ある武家屋敷と桜並木が美しい、まさに「みちのくの小京都」と呼ぶにふさわしい風情を漂わせた観光名所です。
町は「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に区分されました。
・内 町−武家屋敷−
・田町武家屋敷
・外 町−商人町−
資料によると
「古城山の裾野から南に382間(約687メートル)、東西に一線を引き火除けとする。幅12間(約21メートル)、東西に160間(約288メートル)の空地を設け中央から少し南側に高さ1丈(約3メートル)の土塁を築き、完全に内町と外町を遮断する」とあります。
外町で火災が発生した時に内町に引火しないように、火除けを設けたと云われています。
更に土塁の真ん中には木戸門を設けており夜になると閉めていたそうです。
火災だけではなく、不審者を侵入させない効果もあったのではないでしょうか?
北の武士社会、南の商人・職人社会に分かれていた町割りは、400余年後の今もその成り立ちを残したままです。
角館においでの際はぜひ、かつての武士や町人の暮らしに思いをはせながら、観光をお楽しみください。
角館の町内名には「表町下丁・上丁」や「東勝楽丁」等「丁」がついている所と、「岩瀬町」「下新町」等「町」がついている所があります。
これは、武士の住んでいた町内名には「丁」が付き、商人町には「町」が付いているのです。
地名に、数百年前の名残が残っているのも、角館の魅力の一つです。